こんにちは。西です。
最近本を読む元気がない、、
そんな中でも、記事を見つけてはメモをし
なるべくインプットを増やしていければと思っております。
そんなこんなで、今回は
『世界にもし日本がなかったら』育鵬社 を紹介したいと思います。
みなさんに日本が戦争に敗れる昭和20(1945)年以前の世界が、どのような状況だったのかを知ってほしいと願います。
アジアやアフリカの民が、どれほどの苦しみを強いられていたのかを、日本人だからこそ学ぶべきだと強く思うからです。
私は、かなり前から「日本はアジアの人々から嫌われていません」と発信してきましたが、
そう言うと、以前は、「何て馬鹿なことを。お前は右翼か?」とよく言われました。
しかし私は、自分の足でアジア各国を廻り、現地の人々から、「日本人が、いかにすごかったか」を自分の耳で聞いてきました。
「原爆を二つも落とされて、二度と立ちあがれないほど傷ついた。それでも努力を重ね、
世界で最も豊かな国になった。日本人はすごい」との言葉を幾度も聞きました。
アジアの人々は日本人を高く評価してくれています。
私はアジアの国々(一部を除く)が、「日本を愛している、日本を信頼している」と胸を張って言えます。
20年くらい前のことです。
タイの成功者ともいえるご老人が、「敗戦直後の日本人は惨(みじ)めじゃった。私は彼らを蔑(さげす)んだ目で見ていたほどだ」
と正直に語ってくれました。
それがあれよあれよという間に世界に冠たる経済大国になり、驚きと賞賛の思いだったと言っていました。
どの国へ行っても日本製品が溢れ、日本車が走り回る。
アジアの人々の日本製品に対する評価は非常に高く、戦後、日本が誠実にものづくりに励み、
いかに頑張ってきたか、日本人の私が感動してしまいます。
マレーシアのマハティール元首相が香港で演説した言葉の中に、こんな一節がありました。
「日本の存在しない世界を想像してみたらいい。
もし“日本なかりせば”ヨーロッパとアメリカが世界の工業を支配していただろう。
欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界の国々はその価格を押し付けられていただろう」
(欧州・東アジア経済フォーラム、香港、1992年10月14日)
日本人のこまやかさ、誠実さ、追求心の深さは、世界に誇るべき姿です。
「ジャップ、イエローモンキー」と侮蔑(ぶべつ)の言葉を浴びながらも、悔しさを押し殺し、
必死になって闘ってきた戦後の先人たちに感謝のみです。
白人たちを凌駕(りょうが)する「ものづくり日本」が世界を変えたのです。
アジアの国々を廻っていると、つくづく、「先人はよくぞ日本を守ってくれた」と感謝の思いが溢れてきます。
なぜかというと、「白人以外は人間ではなかった」「動物のように扱われた」など、アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの
植民地だった時代がいかに残虐だったのかを、アジアの人たちから聞いてきたからです。
かつて、日本とタイを除くアジアの国々は、すべて欧米列強の植民地でした。
白人以外の有色人種は人間ではなかった時代。
欧米列強の植民地となったアジアでは、長期間にわたり地獄の惨状が続いていたのです。
私も日本を誇りに思い、ものづくりをしていきたいと思います。
写真は、弊社人気商品 にっぽん伝統色箸です。